ミノルタの戦士たち




 田河宏介駐在員


私がニューヨークに駐在していたのは、1963年3月から1967年3月迄の4年間で、もう37年も前になります。その当時、ミノルタの製品は、レンズシャッターはAL、一眼レフはSR-1が主流製品で、特にALはコンシューマーレポートで優秀な評価を受けました。同誌で高く評価されると売上げが上るということで、コンシューマーレポート発刊毎に一喜一優していました。

仕事の方は、日本でしていた仕事の継続ですのであまり困ることはなく、できるだけ早くできれば、その日に受け付けたものはその日に修理することをモットーに努めました。私が駐在していたときの記憶を振り返ると、まず赴任早々に起こったケネディ大統領の暗殺事件で、その日に会社の窓から見えるビルの屋上の旗が半旗になったのを覚えています。その次に、ニューヨーク大停電で、丁度会社を出ようとしたときに発生し、マンハッタンは、真っ暗闇になりました。もちろん、エレベーターは動かず、ライターの光を頼りに階段を降りました。

駐在中には、不景気な時代もあり、同業ではアイレスカメラや、コーワ等が倒産し、うちもタイムスクエアで、うどん屋を始めようかと言われびっくりしたことがありました。アフターファイブはもっぱら、ボーリングで会社でチームを作り、近くのボーリング場で毎週火曜日のリーグ戦に参加していました。週末は、そのボーリング場で、ボーリングをしていました。オールナイト営業ですが、夜中の一時を過ぎると我々だけになり、従業員も早くかえりたいのか、ビールをおごるからと言って帰らされたものです。

フラッシングメドウでは、ニューヨークワールドフェアが開催され、その規模の大きさには驚いたものです。その跡地は、ニューヨークメッツのホームグランド、シェアースタジアムや、テニスコートになっています。

日本では東京オリンピックが開催されましたが、テレビの中継は時差の関係で真夜中になり、眠いのを我慢して見ていましたが、アメリカ選手の出場する競技ばかりで、日本の選手の出場する競技は殆どみることはできませんでした。

忘れられないことは、徴兵検査で、身体検査、メンタルテストまで受け徴兵寸前にまでなったもとです。楽しかったことでは、バケーションをもらいフロリダへ行ったことです。トローリングでカジキマグロを釣りに行きましたが、残念ながらカジキマグロは釣れず、その代わりシイラが入れ食いになりました。最後に、初めてニューヨークに着いた時、深江さんが飛行場まで迎えに来て下さり、車の中から見たマンハッタンの夜景のすばらしかったことが、今でも鮮明に思い出されます。



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