ミノルタの戦士たち




 西村孝夫駐在員


ニューヨーク駐在時のことは、記憶も大分薄らいで断片的にしか思い出せない。私が赴任した60年代初めには、日本とは比較にならない豊かなアメリカがあった。まず、空港に降り立ちその規模の大きさに驚き、駐車場の広さにびっくりした。次に、発達した道路網と整備された道路標識を目の当たりにして車社会を実感した。

住まいは、マンハッタンで間借りをした。いつでもお湯が使え、冬でも暖房の心配が要らない生活は快適なものであった。残念ながら部屋に冷房がなかったので、夏の寝苦しい夜には、タイムズスクエアで、深夜営業の映画館に入り朝まで仮眠したこともあった。

日常生活は、日本より便利なものが多く独身生活をエンジョイすることができた。食料品は、スーパーマーケットに行けば何でも揃うし、洗濯はコインランドリーで用を足せた。レストランは、夜遅くまで開いていたので外食を楽しめた。日々、あまりゆとりがなかったので、給料日の後にみんなで行くステーキハウスは楽しみであった。

駐在中にありがたいと思ったことの一つに、背広と靴がある。背広は、いろいろな体型に合うようにサイズが細分化されていて日本でのように別誂えする必要はなかった。また、日本においてサイズ27センチの靴を手に入れるのに苦労したが、アメリカでは普通サイズであったので、好きなデザインを選ぶことができた。

当時1ドルが360円の安さが売り物のペニーショップでは、日本製が主流で売られていた。安かろう悪かろうが日本製品の代名詞になっていた時代であった。カメラもしかり、決して良い品質とは言えなかった。A2をはじめ、レンズシャッター付きのカメラは、シャッター羽根に油が滲み出て、露出不良となるものが多く発生した。中には、毎年同じ内容で修理に持ってくるユーザーもいて、大変申し訳なく思った。

6ヶ月の保障期間が切れているので、有償扱いにしてリペア収入を増やし、フランク爺さんに、モンキービジネスとよく言われた。また、フロント対応時は、ユーザーに喜んでお金を払ってもらおうと努力した。時には、ユーザーに怒鳴られたこともあり、中邑さんや、受付のミセスファーマー達に、やきもきさせたと思う。また、私のつたない英語を理解しようと、何回も聞き返してくれたアメリカ人気質には、頭に下がる思いがした。

今では、何でも在って当たり前の豊かな日本になったが、40年前にそんなすばらしいアメリカがあり、改めて凄い国であることを認識した。



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