ミノルタの戦士たち




 小西雅一郎駐在員


● 米国での第一歩と驚き

月日の経つのは早いもので、米国駐在を命ぜられ赴任したのは、今を去ること23年前の1967年3月、当事の社内体制はまだまだ整備途上にあった時代で、私の場合も赴任を命ぜられて出発まで一ヶ月もなかったように思います。

最小限の準備で慌しく出発しました。米国で住み始めてまず驚いたのは、市民権の有無に関係なく住んでいる人は、徴兵検査を課せられる点でした。外国人を外国人扱いしてくれない社会、本当に不思議な国だなと思いました。当時の米国は低成長の時代にはいっており、経済成長率も1%以下の状況であったと思います。

一方の日本は高成長の時代で、年率10%の時代でしがが、個々のビジネスの面では、米国の方が活力があり、どんどん新しいビジネスが生まれていました。ベンチャー精神の旺盛さには驚くばかりでしたし、米国の不思議な魅力に段々と引かれて行ったことを思い出します。

● 使命感とチャレンジ精神

私の主な任務は、A:一眼レフカメラSRT-101の販売支援、B:各種側光機器の市場開発、C:研究開発部門のための情報収集等で、一つ一つが手探りでした。活力溢れる巨大市場で、いかに受け入れられ、強い地位を築いて行くか、企業発展のため避けて通れないステップであったわけです。

その当事のMCはまだまだ世帯規模の小さい組織でしたが、その中にあって駐在員の皆さん、一人一人の使命感を持ち、現地従業員の皆さんと融和し、良くがんばっておりました。特に頭の下がる思いがしましたのは、カメラサービスに携わる駐在員の奮闘ぶりでした。日々のクレーム処理に加えて、カメラ修理での現金収入は、MC経営にも大変な貢献であったと思います。

当時の駐在員は車もなかなか買えない厳しい経済状態でしたが、仕事への取り組みのエネルギーは大変なものがあり、私自身も皆さんに触発され、赴任早々から各地を飛び回ったことが本当に懐かしい思い出になっています。西も東もわからない着任早々から仕事に取り組めたのも、ジョン・ジョニーさんと言う真面目で、勤勉意欲があり、カメラが好きで好きでたまらないという人と、コンビを組ませていただいたお陰であったと思います。

まず最初に、新規開発した単独露出計スポットメーターをどのように売って行くか、ミノルタとしても初めての商品ですし、市場でもまだまだ馴染みの薄い分野の商品でしたので、まずプライシングをどうするか、主なカメラ店においてもらうための売り込み活動も必要でしたし、雑誌社にも記事にしてもらう売り込みも大切でした。これらのことがらを、ジョン・ジョニーさんと一つ一つ、野次喜多道中よろしく飛び回りました。その甲斐あって製品の特徴を良く理解してもらえ、多くのプロカメラマンを始め雑誌社にも好意的に取り上げられ、露出計分野のロールスロイスと評されたときには、本当に感動しました。

● アポロ計画との出会い

カメラ雑誌でスポットメーターが紹介されたことがきっかけになって、米国宇宙局でも多大の感心を寄せて頂き、担当技術者がわざわざヒューストンからニューヨークまで商品コンセプトを直接聞きたいとたずねて来てくれました。

その時初めて米国の宇宙計画、月着陸船の飛行計画及び、その時搭載される種々の機械機材について計画を聞かしてもらったわけですが、あまりにもかけ離れた宇宙の話しですので半信半疑でしたし、宇宙船用特別仕様のスペースメーカーの開発要請に対しても、本当に納期に間に合うか、恐さ半分チャレンジしたい気持ち半分、ミノルタとしては当然引き受けるべきと思う気持ち、しかし、失敗したときのダメージ等など瞬間的に頭の中はいらいらしました。

従って、この時は、最悪の場合を想定して、いろいろ話し合いました。正式に引き受けることおになってからも、仕様の煮詰めは幾度と議論を繰り返し、時には日本から責任者の方々にも来て貰い、お互い粘り強く話し合いました。その結果双方の間に信頼感と友情を生み出し、このことが結果的には、ミノルタの役割を無事果たすことに繋がりましたことは、企業にとりましても、私自身に取りましても、大変な喜びであったと共に、貴重な体験でした。この素晴らしい出会いと、素晴らしい結果は、終生忘れることのできない思い出です。

● 偉大な国、米国

約5年間米国で生活する機会を与えてもらえたこと、本当に良かったと思っています。私が居りましたときもいろいろな出来事がありました。例えばキング牧師の暗殺、当事の大統領の有力候補であったロバート・ケネディもロスでの遊説中に暗殺され全米が悲しみに包まれました。

ベトナムでの悲惨な米国の戦いと結末、厳しい経済情勢に追いやられ、その打開策として打ち出されたニクソン・ショック等、数々のことが思い出されますが、その中にあっても不死鳥の如くエネルギッシュに誕生して来る数々のベンチャー企業群。私が居りましたとき、生まれた今日では世界的に有名になっている数々の企業。

例えば半導体メーカーのインテル社、外食産業のマクドナルド社は、特に日本でも有名ですし、今日の米国の経済の繁栄の下支えをしている企業、産業芽がその頃熟成されて行ったことを思いますと、この約30年の時間の流れの重さをひしひしと感じ、感無量のものがありますし、米国の底知れぬパワーを肌で感じる機会を得たことは、本当に貴重な体験でございました。

帰国後、私自身、新規分野開拓、ベンチャー的取り組みを手がけ、具体的には産業用測定機器及び、医療用計測器の開発に取り組み、事業化に成功さし得たのも、米国駐在で得た経験とエネルギーの賜物と深く感謝しております。時代が変わってもベンチャー的取り組みは不変であると確信しております。



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