ディズニーランドでの写真撮影

ディズニーランドでの写真撮影  福井義直

1960年と言えば、まだまだアナハイムのディズニーランドの周辺は、オレンジ畑に囲まれていた。正門の前になるパーキング場は小さく、入場者も少なく、メインアトラクションも、列を並んでの待ち時間もなく、十分にエンジョイできた。ミノルタのロサンゼルスオフィスへ来られる日本の訪問者も、孫のために、ディズニーランドを見て、土産話を持って帰らなければという人も多かった。

その当時、テレビでは、ディズニープロダクションの番組がヒットし続けていたので、子供たちは、テレビにかじりついてみていたらし。ディズニーランドでの、観光客は、ほとんどがコダックのボックスカメラでシャッターを切っていた。90%は、安物の非常に初歩的なものだった。勢いがあった当事のスタッフは、ミノルタで生産していたSR2一眼レフや、ミノルタフレック二眼レンズなど、高級カメラの市場は大きいと益々はりきったものだ。セールスマンの質とは、おもしろいもので、相反する考え方をする。

ニューヨークにあった靴メーカーのセールスマンは、世界市場での拡販を狙って、セールスマンをアフリカへ派遣した。セールスマンは、アフリカの飛行場に降りた途端、みんな裸足で歩いているを目の当たりにする。「ああ、ここには、靴を持ってきても、靴をはく習慣のこの地ではマーケットはない」と舌を舞いてNYにかえってしまった。ところが、シカゴの靴のメーカーのセールスマンが、同じようにアフリカ市場の拡販のために出かけた。

飛行場に降りた途端、みんな裸足で歩いている。「これは、大きな市場を作ることができる」と彼は、すぐシカゴの本社に電話をかけ、サンプル100足分を至急に送るようにリクエストした。彼は、せっせと、市場開拓のため、足で稼ぐ地道なセールス活動を開始。一年後には、年間100万ドルのセールスにこぎ付けた。ミノルタカメラも、ディズニーランドを、ミノルタカメラで埋め尽くそうと夢を持ち、大いに拡販に力を入れたものだ。

1966年に、アメリカ西部11州に、日本のカメラメーカーに先駆けて、直販網を引いた。まず考えたことは、競合するディストリビューターから、有能なマネージメント、セールスマネージャー、オペレーションマネージャーを、引き抜くことであった。これには、二つの意味がある。まず第一に、経験豊富な有能な人といっしょに強力なセールス組織を作ることができる。第二に、有能な人を引き抜くことにより、競合する会社に、ダメージを与える、まさに現代行われているヘッドハンティングの先駆けである。


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