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一眼レフ 福井 義直
私が、アメリカ駐在員として派遣された1957年頃は、本格的な一眼レフ(ペンタプリズム)を使った一眼レフは唯一アサヒペンタックスだった。ミノルタが、その一眼レフ市場に、ミノルタSR−2を投入したのが、1958年。
その後、SR−1、SR−3と続くわけだが、ライカでは、M型シリーズ用に開発したVISOFLEX?SYSTEMと言う、レフ ハウジングを出したのが、1959年、その後、?型を出してくるのが1963年と、いまだ本格的なSLRではなかった。
それと併行して、本格的なSLR、LEICAFLEXを出したのが、1964年と日本メーカーに比べ、かなり遅れを取っていた。それは、あまりにも早く完成させたMシリーズに固執したのが原因ではないかと思っている。市場は、大きな流れでいつも動いている。
市場に、追従するのではなく、市場を作っていくリーダーとして、ミノルタの田嶋一雄社長は、その先端を切っておられた。社長のカメラに対する思いは、いつもライカがあり、ライカを手本にしておられたのではないかと思う。でも、一眼レフは違っていた。
その熱意は、MAXXUMシリーズとなり、アメリカで大ヒットを放つ。日本市場では、ALPHA,ヨーロッパの市場では、AFといずれも、いくら作っても、生産がおいつかない状態がしばらく続いた。社長がいつも小生に、「福井君、最後に笑うのが勝ちだよ」それを実行されたすばらしい社長であった。
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